2010年10月16日土曜日

神戸芝居カーニバルの19年

 神戸芝居カーニバル実行委員会の立ち上げは1992年である。ひとり芝居・ひとり芸を中心に据えた市民プロデュースで、最初の3年は「ひとり芝居の芝居展」と名付けて、
5月の連休に公演を集中させたり、5月〜6月の2か月間で開催したりしていた。4年目からは、年4〜6公演、多い年は10公演を取り組んできたので、19年目の今年の9月の
公演を終えた段階で120公演を超えた。
 そんな中で、新作、初演を手がけることができたことは幸運であった。最初は、吉行和子さんのひとり芝居「MITSUKO—ミツコ 世紀末の伯爵夫人」(作・演出:大間知靖子)で、吉行さんが
1993年から数度の海外公演をふくめて13年間演じ続けた代表作になった。
二つ目は、河東けいさんの一人芝居「母」(原作:三浦綾子 脚本・演出:ふじたあさや)である。「母」は小林多喜二の母の視点から多喜二を映し出す優れた芝居である。
招かれて中国(上海、北京)や韓国(春川)でも公演した。
 新作・初演ではないが、神戸芝居カーニバルと特別に深い関係にあった芸人は故マルセ太郎さんである。知り合って10年毎年何らかのかたちで兵庫、神戸で演じていただいた。
東西の優れた映画約20本をまるごと語り、演じる「スクリーンのない映画館」、自身が書き下ろす「立体講談」。マルセさんは2001年1月22日に亡くなられたが、その前年には神戸アートビレッジセンターで、4月から7月までの毎月2演目、計8演目を、「マルセ太郎大全集」として演じていただいた。マルセさんにはそのほかにも無理難題を持ち込んで結果すべてやっていただいた。たとえば、彼の映画
批評に貫かれている、本物を観る視点を縦横に語ってもらいたいと「シネマパラダイス—韓国篇」「シネマパラダイス—台湾篇」をやっていただいたが、これは初演で1回きりの舞台になったと思う。また、
神戸の聴覚障がい者の団体の要請で「スクリーンのない映画館ー泥の河」を手話通訳で演じて大きな感動を与えた舞台も忘れられない。
 マルセさんは講談社から2冊の本を出されたがいずれも絶版になっている。中でも『芸人魂』は出版の年のエッセイ大賞の候補になった優れた読み物なだけに手に入らないのは誠に残念である。
そんなこともあって、ぼくらは来年1月22日の没後10周年に向けて、『マルセ太郎読本』(クリエイツかもがわ刊)の発行にとりかかっている。
 神戸芝居カーニバルの最多出演記録はマルセ太郎さんだが、これを抜く可能性のある芸人さんが松元ヒロさんである。すでに9年連続登場で来年も4月1日、2日の2回公演が決まっている。
彼が尊敬する芸人がマルセ太郎であることは決して偶然ではない。
中島 淳