2011年6月6日月曜日

6月18日(土)3時開演の麦人・森うたうの語りの世界「たくさんの冬」

舞台俳優、声優として活動する麦人、森うたう、の二人が、戯曲・小説・詩などを、これまでの朗読の概念を打ち破る新しいスタイルの語りとして表現した第1作がこの「たくさんの冬」。

タオス・プエプロ族の生き方(彼らは生き残れるという絶大な自信をもっている。これを彼らの生き方と呼んでいる)について古老の男女が語るのは、自然への共生の感覚、ルーツへの帰属感覚である。

「白人は大地を眺めるのに、決してひざまずこうとはしない。上の方から見下ろすのだ。アリの重要性を認めない。クモの巣の美しさを見ようとしない。畑で土が掘り起こされるのを見たことがない。コオロギの泣き声なんか、聞きたくもないのだ。」

タオス・プエプロにとって、また原作者ナンシー・ウッド(めるくまーる刊・金関寿夫翻訳)にとっては恐らく毎日が「死ぬのにもってこいの日」であるにちがいない。

大震災と津波と原発によって私たちが価値観と生き方を問い直されている今日、この<語りかけ>は私たちに貴重な思考を与えてくれると思います。

麦人は、神戸芝居カーニバル第1回ひとり芝居のしばい展(1992年5月)に独演「ごびらっふの死」で大好評を博した演者、声優で、根強いファンを持っている。

2011年2月13日日曜日

響き合うピアノ(高橋悠治)と声(波多野睦美)

作曲家・ピアニストの高橋悠治のピアノ演奏を聴かれたことはありますか?!
メゾ・ソプラノの波多野睦美の歌を聴かれたことがありますか?!
その2人が紡ぎ合い、響き合う音楽が2月27日(日)神戸新聞松方ホール 3時開演で聴くことが出来ます。
どんなことをしてでも聴いておきたい音楽なんてそうざらにあるものではありません。

全席指定席・前売3500円、当日4000円です。
終演後の至福をきっともたらしてくれるコンサートにお出かけ下さい。
問い合わせとチケット申し込みは、090−1914−4907(神戸芝居カーニバル・中島)まで。

コンサートの前半は高橋悠治のソロ
●バルトーク:チーク地方の3つの民謡
●チャポー:砂漠の行進(1992) 湾岸戦争に抗議する「砂漠の行進」はヨーロッパ音楽へのレクイエムでもある。
コンサート後半はデュオ
●フェルドマン;オンリー(1947)
●ケージ:18の春のすてきな寡婦(1942)
●クルターグ:何と言うか(1990) 高橋悠治訳の日本語歌詞
●高橋悠治:長谷川四郎の猫の歌(2010) 新作

以下は、「何と言うか」について、ハンガリーの作曲家クルターグの作品を初めて歌う波多野睦美のブログから。
「失語症で歌えなくなった女性歌手のために書かれたものだ。この曲を演奏することが決まってからさらに、身体が言葉や音を発信するとはどういうことなのかつきつけられることになった。」
「常々、人前で演奏するのは裸になることと同じと思っているけれど この作品を演奏するのはさらに『骨になる』感がある。一音、一音を身を削るように演奏していた、初演の歌手の焦燥と痛みがこちらの身体をレントゲンのように透かしてしまう。」

2011年1月19日水曜日

本日19日6時半から文化村で高橋悠治と彼のピアノを聴き語る会

高橋悠治と波多野睦美を2月27日に松方ホールに招きます。
二人とも凄い音楽家にしてお酒をこよなく愛していらっしゃいます。
お二人をもう少し知るために演奏CDを聴き、著書をひもといてみたいと思います。
寒い今日ですがお越しをお待ちしています。
中島淳

2010年10月16日土曜日

神戸芝居カーニバルの19年

 神戸芝居カーニバル実行委員会の立ち上げは1992年である。ひとり芝居・ひとり芸を中心に据えた市民プロデュースで、最初の3年は「ひとり芝居の芝居展」と名付けて、
5月の連休に公演を集中させたり、5月〜6月の2か月間で開催したりしていた。4年目からは、年4〜6公演、多い年は10公演を取り組んできたので、19年目の今年の9月の
公演を終えた段階で120公演を超えた。
 そんな中で、新作、初演を手がけることができたことは幸運であった。最初は、吉行和子さんのひとり芝居「MITSUKO—ミツコ 世紀末の伯爵夫人」(作・演出:大間知靖子)で、吉行さんが
1993年から数度の海外公演をふくめて13年間演じ続けた代表作になった。
二つ目は、河東けいさんの一人芝居「母」(原作:三浦綾子 脚本・演出:ふじたあさや)である。「母」は小林多喜二の母の視点から多喜二を映し出す優れた芝居である。
招かれて中国(上海、北京)や韓国(春川)でも公演した。
 新作・初演ではないが、神戸芝居カーニバルと特別に深い関係にあった芸人は故マルセ太郎さんである。知り合って10年毎年何らかのかたちで兵庫、神戸で演じていただいた。
東西の優れた映画約20本をまるごと語り、演じる「スクリーンのない映画館」、自身が書き下ろす「立体講談」。マルセさんは2001年1月22日に亡くなられたが、その前年には神戸アートビレッジセンターで、4月から7月までの毎月2演目、計8演目を、「マルセ太郎大全集」として演じていただいた。マルセさんにはそのほかにも無理難題を持ち込んで結果すべてやっていただいた。たとえば、彼の映画
批評に貫かれている、本物を観る視点を縦横に語ってもらいたいと「シネマパラダイス—韓国篇」「シネマパラダイス—台湾篇」をやっていただいたが、これは初演で1回きりの舞台になったと思う。また、
神戸の聴覚障がい者の団体の要請で「スクリーンのない映画館ー泥の河」を手話通訳で演じて大きな感動を与えた舞台も忘れられない。
 マルセさんは講談社から2冊の本を出されたがいずれも絶版になっている。中でも『芸人魂』は出版の年のエッセイ大賞の候補になった優れた読み物なだけに手に入らないのは誠に残念である。
そんなこともあって、ぼくらは来年1月22日の没後10周年に向けて、『マルセ太郎読本』(クリエイツかもがわ刊)の発行にとりかかっている。
 神戸芝居カーニバルの最多出演記録はマルセ太郎さんだが、これを抜く可能性のある芸人さんが松元ヒロさんである。すでに9年連続登場で来年も4月1日、2日の2回公演が決まっている。
彼が尊敬する芸人がマルセ太郎であることは決して偶然ではない。
中島 淳

2010年7月26日月曜日

韓国映画「クロッシング」(シネ・リーブル神戸)

17日にKAVCシアターで韓国映画「息もできない」18日に長田ピフレホールでドキュメンタリー映画「月下の侵略者」を観た際、24日から神戸封切りと教えられ、初日第1回(12時10分上映)を観に行った。観客90人弱はまずまずの評判の現れと思われた。
この映画をどのような立場で、あるいは価値観でもって観るか。北朝鮮と韓国、貧困と労働、国家権力と国民、家族と隣人など軸になるものはいくつもある。
映画は2002年にあった脱北者25人がスペイン大使館に駆け込んで韓国亡命に成功した事件をモチーフにしている。製作は、脱北者問題に冷淡だったノ・ムヒョン大統領時代のため極秘裏にすすめられ、政権交代後の2008年6月に韓国で公開された。
ぼくは炭鉱で働く主人公ヨンス(元北朝鮮代表サッカー選手)と妻ヨンハ、一人息子ジュニの家族とヨンスの親友で中国交易を仕事にしている家族(妻とジュニと同年の娘)におよぶ運命の残酷な様を中心に観た。
ぼくに涙はなかった。それは音楽のセンチメンタリズムと大きすぎる音量のせいだったように思う。(韓国国内の映画祭では音楽賞を受賞しているそうだ)
ジュニ役の少年がいい。必見映画である。上映は、12:10と16:30の2回。

2010年7月25日日曜日

吉行和子著「ひとり語りー女優というものはー」(文藝春秋刊)

吉行さんはエッセイスト・クラブ賞をとられたことがあるように、出版されれば直ぐに手にとってみたい書き手のひとりである。
吉行さんそのものが実におもしろい人だと、テレビ番組や映画やテレビドラマから垣間見ているので、今回の女優としての半生記を一気に読ませて貰った。
31篇のエッセイからなっているが、それぞれのエッセイの締めくくりの言葉が吉行さんならではのユニークなもの。
登場人物、母あぐり、吉行淳之介、宇野重吉、杉村春子、寺山修司、大江健三郎らと吉行さんとの関係性が、その人との会話と会話の様子、言葉で見えてくるのがなんともおもしろい!
228ページに「1993年、この年から『MITSUKO−ミツコ世紀末の伯爵夫人』という一人舞台をはじめる。神戸の演劇プロデューサーが企画して、一人舞台大会を開くので『小間使の日記』で参加してくれ、との申し込みがあった。でも、私はどうせなら、日本人の役をしたいと思った。実在の人物、日本だけに留まらず海外にも行った人、そして今まで舞台や映画で描かれていない人物にしたい。演出家の大間知靖子さんと相談し、彼女が『クーデンホーフ光子伝』という分厚い本を見つけてくれた。これを芝居にして参加することにした。まさかその後、十三年間も続けるとは思ってもみなかった。」とある。演出プロデューサーと書かれているのはぼくで、前年5月に第1回を開催して翌年の企画を持ち込み、渋谷でお二人に会っていただいたもので、プロデューサーとは言えない駆け出しであった。事情を知らないぼくがお願いしたのはNHKTVでみた『蛍』の再演であったが「あれはテレビだからできたもの。」と吉行さんに言われ、大間知さんが「去年だったら芥川の百年でなにかできたわのにね。とにかくなにか考えてみましょう。」と言って下さって始まった舞
台だった。(1500円)

2010年7月20日火曜日

レンピッカ展(兵庫県立美術館)

タマラ・ド・レンピッカの肖像画は構図、色彩、モデルの眼に引き込まれる。大胆で新鮮、女性の肌の美しさと透徹した女体の官能。これらは、レンピッカが自身の美貌に絶対の自信を持ち、女性をも恋人にしていく自身の揺るがない観察力を持ち得たから描けたに違いない。
レンピッカ自身の容貌の衰えとともに、絵が描けなくなり、輝きの失せたものになってゆくのは必然だったのだろう。
7月25日まで。