2010年4月14日水曜日

マルセ太郎のプロフィール

1933年(昭和8年)大阪市に生まれる。
大阪府立高津高校時代に演劇の道を志す。
1954年、新劇俳優を夢みて上京。芸名の由来でもあるマルセル・マルソーの舞台を見て感動、日劇ミュージックホールでパントマイムを演じてデビューする。
その後「コメディードンキース」や「スタミナトリオ」を結成して浅草演芸場や全国各地のキャバレー、ストリップ劇場に出演。
1980年のサル歳には、持ちネタの一つであるサルの形態模写で大人気を博する。
1982年よりライブハウス「プランB」でピン芸(ひとり芸)を磨き、1984年、映画を1人で語って演じる「スクリーンのない映画館」で映画再現芸という新しいジャンルを開拓し、
色川武大氏、永六輔氏、矢野誠一氏、淀川長冶氏らの注目を集める。
また、話芸のジャンルを広げてマルセ太郎の世界を築く。
1993年にはマルセカンパニーを率いて「黄昏(たそがれ)に踊る」(脚本・演出)を発表。以来、生や死、老いなどを題材とした喜劇の脚本、演出を手がけ、その数9本におよぶ。
中でも、知的障がい者と健常者の共同生活を描いた「花咲く家の物語」は、全国各地で高い評価をえた。
1995年、肝臓がんの手術を受けるが、たび重なる再発と向き合いながら強靱な精神力で活動を続け、
1998年母国である韓国を訪問、ソウル国際演劇祭で特別公演を成功させた。
神戸との付き合いは長いが、2000年4月「立体講談 殺陣師段平物語」「スクリーンのない映画館 生きる」、5月「立体講談 桃川燕雄物語」「スクリーンのない映画館 泥の河」、
6月「スクリーンのない映画館 ライムライト」「スクリーンのない映画館 息子」、7月「フリートーク あのころの浅草」「立体講談 中村秀十郎物語」の8演目を公演した。
2001年1月22日、岡山の病院で急逝。享年69歳。
著書には『芸人魂』(1991・講談社)『奇病の人』(1998・講談社)がある。